旅をする中で、あることないこと思ったことを割と自由につづってます。
が、もう旅も終わってしまったので、普通の日記を書いています、多分。
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十和田湖行ってみました。
いや、きれいだったっすよ。
ほんとに。
でかくて。
ただね、そこまでの道のりがきつかった。
一応山道だし、店とかもないだろうとか
食料が足りなくなるかもとか
山ん中で一泊するかもとか
くまさんが、とか
いろいろ想定していたんですよ。
もちろん上りもずっと続いててきついことも頭に入れてました。
で、実際登ってみて
最初は
野菜の直売所兼食堂とか自動販売機とかあって
こりゃ楽勝だな、とか思ってたんですが、
後半からやっぱ急になってきまして、
しかも大雨。
もうシャワーかって、
天然の入浴場ですか、って勢いだった。
道路はものの数分で水が流れ落ち、
ちょっとした洪水みたいになってた。
そんで、湖に着いたときにはもう寒くて
キャンプしようとしてたんですが即刻中止。
泊まるところを探しました。
素泊まりで4000ちょっとのとこがあったんで
そこを訪ねてみたのですが、
二人以上じゃないと泊まれないみたいで、
そこのオーナーの女性に近くのホテルを紹介してもらった。
でもね、朝出発して少し走ったら
他に民宿が何個もあんの。
やられた、って思ったね。
まあ、2食付いてる割りにそんなに高くなかったし、
すごくおいしかったからいいことにしとく。
で、山道はきついんで太平洋側に出ようということになって
東に向かいました。
途中、ロードクラッシャーだかなんだかいうものが走っててこの先危険、とか
20m以内立ち入り禁止って
看板に怖いことが危険そうな絵とともに書いていたんですが、
よくわからなかったのでさっさと先に進んだりしまして、
っていうか、ロードクラッシャー(ロードローラーだったかも)って何
っていう話なんですけど。
それからキリストの墓というところにも立ち寄りまして、
そこの人から、もうすぐ読売新聞の取材がくるという
情報もいただきまして、
本当かどうかは新聞をご覧あれ。
墓近くにあった説明によると
キリストは若い頃日本に神学を学びに来ていたそうで、
それから帰ったものの皆に自分の話を信じてもらえず
それどころか十字架にかけられてしまいそうになって、
それを弟が身代わりになってくれて
また日本に逃げてきた
ということが遺書に残っていたそうだ。
それが本当ならかわいそうな話だが、
これ、ちょっと嘘っぽくない?
だってキリストが生きていた時代っていつだっけ。
BC100~AD100と見積もっても
その頃の日本ってどんなだった?
中国とかならありえそうだけど、
ちょっとどうかなって思う。
でも元祖キリストもち(串もち)はおいしかった。安かったし。
という感じで山をやや南の方へ向かって下りまして、
さんのへ という道の駅でこっそりキャンプ。
次の日は雨だったけど
午後から晴れだしたので出発しました。
寄り道して三戸城を見学してきたんだけど、
ちょうど将軍を交代する儀式(よくわからん)をやっていた。
今の将軍に当たる人が隣町(南部町)からやってきたらしい。
よくわかりませんが。
そんなこんなで八戸に着きました。
八戸って意外と小さ・・・
いや、あの多少コンパクトといいますか、
お手ごろといいますか、
もっと都会をイメージしていたんで。
ここは自転車で旅をしている人が多いみたいです。
4,5人くらい見かけたかな。
立ち寄りやすい場所なのか、
それとも港があるからか。
旅人が多い街はいいところなんじゃないかな。
・・・よし、ごまかせた。
いや、きれいだったっすよ。
ほんとに。
でかくて。
ただね、そこまでの道のりがきつかった。
一応山道だし、店とかもないだろうとか
食料が足りなくなるかもとか
山ん中で一泊するかもとか
くまさんが、とか
いろいろ想定していたんですよ。
もちろん上りもずっと続いててきついことも頭に入れてました。
で、実際登ってみて
最初は
野菜の直売所兼食堂とか自動販売機とかあって
こりゃ楽勝だな、とか思ってたんですが、
後半からやっぱ急になってきまして、
しかも大雨。
もうシャワーかって、
天然の入浴場ですか、って勢いだった。
道路はものの数分で水が流れ落ち、
ちょっとした洪水みたいになってた。
そんで、湖に着いたときにはもう寒くて
キャンプしようとしてたんですが即刻中止。
泊まるところを探しました。
素泊まりで4000ちょっとのとこがあったんで
そこを訪ねてみたのですが、
二人以上じゃないと泊まれないみたいで、
そこのオーナーの女性に近くのホテルを紹介してもらった。
でもね、朝出発して少し走ったら
他に民宿が何個もあんの。
やられた、って思ったね。
まあ、2食付いてる割りにそんなに高くなかったし、
すごくおいしかったからいいことにしとく。
で、山道はきついんで太平洋側に出ようということになって
東に向かいました。
途中、ロードクラッシャーだかなんだかいうものが走っててこの先危険、とか
20m以内立ち入り禁止って
看板に怖いことが危険そうな絵とともに書いていたんですが、
よくわからなかったのでさっさと先に進んだりしまして、
っていうか、ロードクラッシャー(ロードローラーだったかも)って何
っていう話なんですけど。
それからキリストの墓というところにも立ち寄りまして、
そこの人から、もうすぐ読売新聞の取材がくるという
情報もいただきまして、
本当かどうかは新聞をご覧あれ。
墓近くにあった説明によると
キリストは若い頃日本に神学を学びに来ていたそうで、
それから帰ったものの皆に自分の話を信じてもらえず
それどころか十字架にかけられてしまいそうになって、
それを弟が身代わりになってくれて
また日本に逃げてきた
ということが遺書に残っていたそうだ。
それが本当ならかわいそうな話だが、
これ、ちょっと嘘っぽくない?
だってキリストが生きていた時代っていつだっけ。
BC100~AD100と見積もっても
その頃の日本ってどんなだった?
中国とかならありえそうだけど、
ちょっとどうかなって思う。
でも元祖キリストもち(串もち)はおいしかった。安かったし。
という感じで山をやや南の方へ向かって下りまして、
さんのへ という道の駅でこっそりキャンプ。
次の日は雨だったけど
午後から晴れだしたので出発しました。
寄り道して三戸城を見学してきたんだけど、
ちょうど将軍を交代する儀式(よくわからん)をやっていた。
今の将軍に当たる人が隣町(南部町)からやってきたらしい。
よくわかりませんが。
そんなこんなで八戸に着きました。
八戸って意外と小さ・・・
いや、あの多少コンパクトといいますか、
お手ごろといいますか、
もっと都会をイメージしていたんで。
ここは自転車で旅をしている人が多いみたいです。
4,5人くらい見かけたかな。
立ち寄りやすい場所なのか、
それとも港があるからか。
旅人が多い街はいいところなんじゃないかな。
・・・よし、ごまかせた。
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